理論と感情
僕は、「なぜこうなったのか?」を考えるのが好きだ。
生物の形だけでなく、車の形や、コップの形、瓶の形、テーブルの形、椅子の形、建物の形、時計の部品の形、テントの形、クツの形、ナイフの形、…
なんでこの形なんだろう?と考えるのが楽しい。
そこには力学的な理由もあれば感覚的な理由もある。
以前、京都にいる時にいろいろな事を学ばせてもらった経営者の方に「チカちゃん(僕は彼にそう呼ばれていた)、仕事は理論と感情の釣り合いが大切なんや」と繰り返し言われたが、仕事だけでなく、全ての事が理と情で形成されると今は理解している。
身体の形、顔の形、姿勢、運動、それらは全て外的要因から来る「理」と、内的要因から来る「情」に決定される。
オランウータンのオスは、喧嘩に勝って「俺が強い」と思えば顔にフランジという突起が発生する。力学的な「理」はそこにはない。
ただ「俺は強い」という情だけがフランジの発生要因だ。
情は、構造を変えるだけの強さを持っている。
物事の「形」を考える時、そこに働く「理と情」を思うと、少し深い部分が見えてくるような気がする。