サバイブ
更新日:6月22日
2020年が始まる時、こんな状況になるなんて一瞬も想像しなかった。
今までの人生で何度か「詰んだ」と思った事があった。それは全て僕自身のダラシナさや狭小な価値観による頑固さに起因する「人災」であったので、痛い目に会うとか自身が成長するとか、ただ運が良かったとか、そういった事で乗り切る事が出来た。
しかし、今回は違う。自分が成長すれば乗り切れるとか、小手先のビジネス戦略を弄すれば良いとか、そういう「個人の裁量」を超えたところに原因が顕在している。
でも、だからこそ、今、正に社会と時代に試されていると、僕は思う。
「コロナが原因」と言えば全て収まるところで、いかに「雨が降っても自分のせい」と思えるか。
「生き延びる」とは、いかに他責にせず状況を打ち破るかにかかっている。
横隔膜ができたキッカケを、当会員の皆様は知っているだろう。火山が大規模爆発し、酸素濃度が急減した時、生物は誰かのせいにしただろうか?
言葉を持たない彼らは、集団的自衛も行えない中、個体個体が訪れた状況に立ち向かったのではないか?火山が爆発した事を、誰のせいにも出来ない中で、種の存続をかけて「生き延びたい」という渇望に基づく試行錯誤、すなわち「進化への挑戦」で生き延びたのではないか?
今、生物が何度も課されてきた試練を我々人間という高等生物は課されている。
誰かのせいにするのではなく、限られた可能性の中において自己を変化させ、挑戦し、希望を抱き続ける。一にも二にも、自分を生かし次に繋ぐためにサバイブし、希望を繋ぐ。それが、生物がやってきた事なんだよな〜と、改めて思う。
今、ハッキリ言ってビジネス面では過去最大級の危機を迎えているし、あと何ヶ月延命できるかといった瀬戸際にある。しかし、そうした「生物が挑戦してきた危機」を乗り越えるチャンスに直面しているのは本当に千載一遇の有難い事なんだよな〜と思う。
希望を捨てず、創造力を駆使してこの局面に立ち向かいたい。その挙げ句、死んでもそれは仕方ない。その姿を見て、若い人達が「あれだとダメか…」と思えればそれでいいし、乗り越えて「こうすればいいんだよ」と伝える事が出来れば幸い。
人事を尽くして天命を待てば、悪い事はない。
先は見えない。だから見なくていい。「今」を恥も外聞もなく、僕は生き延びたいと思っている。
2020年4月