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頭で理解する前に心身で感じている、という話

人はお湯と水を、その注がれる音で区別する事ができる。


触らなくても、見なくても、僅かな音の違いで、それがお湯なのか水なのか分かるのだ。


人は、例えそれが何なのか論理的に説明できなかったとしても、感じて知る事ができる。


アイオワギャンブル課題という実験がある。


A,Bのカードの山は当たっても少額しかもらえないけどハズレても少額しか奪われなくて、結果お金が増えるカードの山


C,Dのカードの山は当たると大金がもらえるけど、ハズレだともっと大金が奪われて、結果貧乏になるカードの山


課題参加者はどれかの山からカードを一枚一枚引いていく。一応事前にある程度の金額が渡されているけれど、手持ちのお金が無くならないようにどっちの山がより安全か、なるべく早く判断する必要がある。


当然どの山がアンパイなのか参加者達には知らされない。


どの参加者もC,Dの山のカードを一回でもめくった後には、どの山のカードをめくる時にも発汗量が爆増する。


さらに何回かめくるとC,Dのカードに触れた時だけ発汗量が増えて、さらにめくると「なんとなくC,Dの山はヤベェ」と言いだす。


そして最終的にはA,Bの山からしかカードを引かなくなる…


というのがアイオワギャンブル課題の典型例だ。


参加者達はどの山がアンパイかは知らないし、そう仕組まれている事も疑わないのに、C,Dのカードに触れた時だけ生理的緊張が高まって汗をかき、やがてそれを「なんとなくヤベェ」と知覚して、アンパイのカードを引くようになるという訳だ。


この結果は、頭で理解する前に情動反応が発生してリスクを「感じて」いる証拠とされて、ダマシオ先生のソマティックマーカーという考え方の説明に良く使われてある。


ソマティックマーカーとは超簡単に言えば、合理的であろうとそうでなかろうと、物事の判断には情動が強く影響するという考え方だ。


「直感」の一つの説明とも言える。


人は、頭で分かっていなくても「感じて」いる事がたくさんある。


運動も同じだ。それが完全になんなのか理解できなくても、感じて理解して、実行できる。


なんでその軌道で手を伸ばしたの?なんて聞かれても分からないし、なんでその歩き方なの?と聞かれても答える事などできない。なんでそんなスクワットのフォームなの?なんて、聞かれても知った事じゃないのだ。


本棚から本を取る時に、「私は三角筋を使って腕を挙げて、この運動連鎖を用いて手を伸ばし…」など、誰も思わない。


「重たそうだな…」「分厚いな…」「めんどくせぇな」とかしか思わないのが普通だ。そうした予期的な感覚や情動が姿勢や運動、手の軌道を「なんとなく」決める。


うだうだフォームを修正するよりも、「なんとなくそうなっちゃう」という課題を作り出す事。


これが本質的には大切なのだと思う。





 
 
 

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