貧乏になった事があるという話

更新日:6月22日

みんなは、貧乏になった事があるだろうか。


貧乏自慢、苦労自慢の話かよ!と思う人もいるかも知らんけど、僕は仕事に行く交通費にさえ事欠いて駅前のパン屋の無料で拾える食パンの耳で飢えをしのいでいた事がある。


放置していても伸びる毛や爪を食べれたらいいのに、と結構ガチで考えていた、その頃は。もしくは再生可能エネルギーとして売却できないかなとか。


僕は15年くらい前、はっきり言って貧乏だった。


僕は早稲田大学商学部出身だったから、同期なんかはみんな良い感じのところ就職して、20代の半ばには踏み外れず、僕みたいじゃないそれなりの良い感じの生き方をしていた。


でも僕はやりたい事を仕事にした結果として、苦しい生活をしていた。


決して自分を貧しいと思ったりはしなかったけど、でもやっぱり当時は豊かではなかったと思う。財布に3千円あればこの世の果てまで行けるくらい安心できる、そんなのが僕の20代後半だった。


6万円の家賃を払う事にさえ困窮する当時の僕が理解した事は、3つあった。


①社会に出たら、仕事においては自分以外誰も自分を助けてはくれない

②学歴は関係ない

③パンの耳は、美味い


どんなセミナーに出ようが、これに勝る理解はなかった。


カッコ良く言えば自由の意味を理解した瞬間だったし、ダメな感じで言えば「大丈夫」の幅が拡がったとも言える。


どんな形でも生きて良けるし、生きて良い。そんな事を、パンの耳をかじりながら学べた気がする。








最新記事

すべて表示

仮説の立た方には、大きく分けて二つある。 それは帰納(きのう)か演繹(えんえき)である。 もうこの時点でページを閉じようとする人も多いだろう。 だが、私達トレーナー、セラピストの仕事のコアは基本的に仮説の立案とその検証にあるので、ページを閉じたくなるような人は他人の健康に関わる仕事はしない方が良いだろう。論理的思考ができない人にこの仕事は務まらない。 仮説がちゃんと立てられるだけで、仕事の95%は