不要不急な仕事、それがトレーナー

誰の言葉だったか忘れたが、社会が変われど普遍的に存在する職業は5つだけだと言う話がある。


政治家

警察官

弁護士

医者

畜産農家


本当かどうかは知らないが、どんな独裁国家だろうと失敗国家だろうと、この5つの職業は存在しているらしい(健全に機能しているかは別として)。


国家としての体裁を整えるために必要な最低限の職業インフラは、この5つという事なのかも知れない。


職業というのは高度に発達した社会では多様性が高いけれど、不安定な情勢では「必要最低限」に絞られ、それ以外は余剰な文化的職業という事になる。


トレーナー、特にハイレベルなアスリートだけに特化したトレーナーという仕事は社会の豊かさの上に成り立っている。多くのスポーツ現場で専業で働くトレーナーは、「給与、報酬が安い、休みがない」と言うが、これはある程度仕方ないところもある。


競技スポーツというヒエラルキーの中で、運営母体、コーチ、選手は絶対条件だが、「トレーナー」という仕事はそれらのインフラが存在して初めて成立するものなので、予算を削減するとなると真っ先に槍玉に挙がるのは我々トレーナーに他ならない。人気で客を集める、といった直接的に金銭を発生させる能力もトレーナーにはない。


以前あるプロバスケチームのトレーナーとして勤務していた時、球団オーナーに「チカちゃん(彼は僕をそう呼んでいた)、試合中にトレーナーは忙しくないんだからゲームカメラマンやったらどうなんや?」と言われた事がある。


「いや〜地味に忙しいっすよ?」と笑って返したものの、世界的企業のCEOであるその人からしてみれば「忙しい」の基準が違うし、確かに試合に臨む選手に比べれば大変な訳がない。


全面的に反論するほど自分の中に確固たる「トレーナーは大変です!」という認識がなかったので、言われてみたらそういう考え方もあるな〜と思ってしまう自分がいたし、逆にトレーナーしながらカメラ技術を極めれば希少人材だよな…と納得してしまった。まあ、目指さなかったけど。


バッサリ言ってしまえば、トレーナーは社会の絶対的構成要素ではない。「不要不急」な仕事なのだ。


こういう事を言うと「自分の事を貶めている」とか、「誇りを持て」と言う人もいるが、世界のあらゆる社会経済活動の在り方を学べば、そうした感情的反論は不能な事が理解できるはずだ。


そこまで言っておいて、じゃあなぜ僕がスポーツに関わる「トレーナー」という仕事を今でもしているのか?という話になるんだけど…


もうここまでで結構長いからまた次回にその話をしたいと思う。



最新記事

すべて表示

心理学部の授業が始まる。 コロナのおかげでオンライン化が進んだからなのか、授業開始も柔軟みたいだ。 率直に言って、結構ビビっている。 新しい山にゼロから登るのは不安だし、心理という山に、「身体」という山に登る時のこの気持ちを同じように持つ事ができるのかも分からない。 2年くらい前に公認心理師という国家資格ができて、これを受験するには修士課程にまた行く必要がある。資格コレクターじゃあるまいし、そこま

「自己家畜化」というワードがある。 現代のヒトの生き方は究極的には家畜であるし、自ら望んで家畜化している。むしろ「社会」は家畜同士の合意で成り立っているという考え方だ。 経済という餌のもと、定期的に配布される賃金という名の餌、労働によって決定される居住や出産、死。それは究極的には家畜化と大差ない。定期的に放牧される家畜とヒトの違いは、そんなに大きくないのかも知れない。と、言うのが「自己家畜化」の考

「生きながら、生かされている」という話を、高校生の時に聞いた事がある。 正直言ってその頃はちょっと何言ってるか分からない…と思ったけれど 「誰かに勝つ」「目標を達成する」と決意してオラオラァ…と事業や学問に邁進するうちに、「あいつに勝つとか、もはやどうでも良いわ」とか、「目標達成したけどもっと高い山が見えたわ。まだ全然だ俺…」という井の外を見た蛙、茹でられ始めた事に気付いた蛙になる時が、ちゃんとや