終わりはない

もう充分勉強したな、とか自分はもう極めたな…と思う事は、一生ない。


もしそう思っている人がいたら幸せな事だし、うらやましいとは思うけれど、それは勘違いでしかないのではないか。


ヒトや生物について、人生100年という短いスパンで全て理解できる事なんてあり得ない。


例えばトレーニング科学やスポーツ医学科で何か分ったような気がする事もあるかも知れないけれど、それは「ヒト/人」という点ではまさに点。360度の中の0.00001度の点でしかない。


自分も人にいろいろな事を伝える身ではあるけれど、ヒトについての知識…実践360度から見れば、見えないくらいの小さな点を伝える事しかできていないし、自分の最高理想形からすると今もまだ全くのザコでしかない。


それを自覚しているから、点を面に、点を穴にできるよう日々少しずつ勉強している。


何も考えず、自分で確かめる努力もせず、二次三次情報を鵜呑みにしていた20代前半の頃の自分はある意味幸せだったのかも知れない。


でも、あのままだったら今のように自分で考えて自分の進む道を決める事は出来なかっただろう。


学ぶ事はまだまだ尽きないし、終わらない。


自分が何か知っているような傲慢な気持ちになったり、ダメな自分に目を背けて安易な学びに逃避したり、目先の知名度や金銭に目をくらませてパクリセミナーみたいな事をしたら、それで全て終わる。


自分にも調子に乗っていた時があるからこそ、そうなったら終わりなのが良く分かる。


自分が何者かであるような勘違いは、学びも、純粋な心も、ひたむきさも、楽しさも全て失わせる。本当に全ての終わりの始まりは「無知の知」を自ら誤魔化す事から始まる。


人生を賭けて、学びに自己投資し続ける事。

それでしか道は開けない。





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