4スタンス理論が話題になっていた時代があった。もうさすがにそんな事を言っている人はあまりいないだろうけど。
ヒトの重心は生まれ持ったもので後世変わる事はなく、その重心位置に適した身体の使い方があり、そのパターンは4つに大別されるという。
多様性のあるものを極端な類型化に落とし込むという手法は未だに人目を集めやすい。
生まれた年月や血液型に始まり名前の文字数、姿勢、関節可動域、筋出力…パターン化はあらゆる事に使われる。なんでもジャンル分け的な。
多様性に富んだものを無理に類型化する事って、意味ある?
もし仮に重心位置がいくつかのパターンに分類されたとしても、そのパターンに至るまでの原因は無限にあるよね。そこは無視していいのか?
むしろ、そこに至る原因が何なのかを考える必要があるんじゃないのか?
と、考えるとパターン化して満足している場合じゃないんだよな。
パターン化するための評価能力なんかよりも、その人がなぜそうなのかを評価できる能力の方がよっぽど大切なんだよ。
人の重心位置がそこに至る理由なんて、無限にある。無限スタンス理論なんだよ。
無限に拡がる身体運動の中に仮説を立てて、治療なりリハなりパフォーマンス向上の中で実証していく。
それはパターン化なんかしてたらできない事なんだよ、と僕は思う。
まあそれ以前に、人はみんな違う事を認めるって当たり前の事だよね。
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