永遠の憧れ

僕はシルクドゥソレイユが好きだ。

公演の映像をいくつも持っている。


最初は身体の使い方を観察するために買ったものだが、元はオリンピック選手やそれぞれの競技の超一流の選手が「エンターテインメント」として全力を尽くすその姿に、見る度に涙が止まらなくなってしまう。


自分のためにやっていた競技が、いつしか人を楽しませるためのものになり、その身体から放つ技を、勝負を超えた「楽しみ」のために努力を尽くすその姿に、単なるエンターテインメントを超えた感動を覚えずにいられない。


自分のために極めたものが、いつか人を楽しませるものになり、優劣の競い合いを超えて運動という美しさが文化になる。


自分のために極めようとしたものが、いつか人のためになり一隅を照らすものになったらどんなに良いだろうと思う。


僕の永遠の憧れだ。

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