仮説の立て方で全て決まる

仮説の立た方には、大きく分けて二つある。


それは帰納(きのう)か演繹(えんえき)である。


もうこの時点でページを閉じようとする人も多いだろう。


だが、私達トレーナー、セラピストの仕事のコアは基本的に仮説の立案とその検証にあるので、ページを閉じたくなるような人は他人の健康に関わる仕事はしない方が良いだろう。論理的思考ができない人にこの仕事は務まらない。


仮説がちゃんと立てられるだけで、仕事の95%は終わったと言って良い。


帰納的仮説は、事実に基づく。


スクワットしたらAのジャンプ高が上がった。

スクワットしたらBのジャンプ高が上がった。

スクワットしたらCのジャンプ高が上がった。

ならDもスクワットしたらジャンプ高が上がるだろう。みたいな。


一方、演繹的仮説は一般論に基づく。


スクワットすればジャンプ高が上がると一般論では言われている。

ならA,B,C,Dもスクワットすればジャンプ高が上がるだろう。


みたいな感じだ。


どっちも大差ないように思えるが、実際には結構違っていて、めちゃくちゃ簡単に言うと「個別の事例を一般的なものとする」か、「一般的な事例を個別にあてはめる」か、と言う事だ。


で、研究というのは長期的な観点で見た時に、帰納法で仮説を証明し続けて最終的にそれを「一般論」の域に到達させる、というのを目標にしている。


だが、トレーニングや理学療法の研究で「一般論」となったものは、今のところほとんどない。


にも関わらず、我々の業界では個別の事例でしかない帰納的仮説があたかも一般論のように語られていたり、一般論とは言えないような事が演繹的に個別の事例に当てはめられていたりする。


部分的に分かっている事はたくさんあるけれど、それはすぐに反証される事も多いし、全人類に一般化してあてはめる事ができる程のものなど、我々の業界では今のところ何もないと言ってもいい。


にも関わらず姿勢をパターン化したり、アプローチをシステム化したり、アスリートがやっているトレーニングは良い、みたいなのは非常に浅はかだし、危険なやり方だと思う。


限局的な事例に基づく帰納的仮説、不確実な前提に立つ演繹的仮説、これらは全て不完全なもので、こうした情報を受け取る側は、思考力が常に必要とされる。


残念な事に、この思考力の大切さを啓発するような取り組みは、トレーナー業界では全くと言って良いくらいに行われていない。


※実際には筋膜、腹横筋、横隔膜、骨盤底筋、肩甲骨、腸腰筋、呼吸…意味不明で胡散臭い言説が飛び交っていて、もはや帰納も演繹も仮説もクソもないレベルの話も多いけれど…