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成功したいと思うなら

若い頃、僕は人一倍「成功」に憧れていたと思う。


高校生の時に何を生業とするのか全然決めていなかったけれど、自分でいつか何かの事業をするのは決めていたので、受験した大学は全て商学部か経営学部だった。


20〜30代半ばから後半にかけて、自分にとっての「成功」はそれこそ金銭・物質的な事だった。年収二千万を超えるとか、タワマンに住むとか、そんな安っぽいものが自分の「成功」の尺度だったと思う。


実際そのために不眠不休で364日働くのも苦ではなかったし、整骨院を数店舗展開したり、様々な施設のコンサルをしたりして、個人事業のクセに年収二千万以上を達成したりした(節税をちゃんとしてればそれ自体愚かな数字なんだけれども)。


でも、なんだろう。

その結果、僕は成功したのだろうか?


心の中に、そんな満足感や達成感が芽生えた事なんてなかった。


ロレックスやメルセデスの特別限定品を買おうが高いワインを飲もうが、高級ホテルに泊まろうが、ただただ不安や欠乏が募るばかりで、「俺は成功した」と実感するような瞬間は一瞬たりともなかった。


当時はただひたすらに横暴で、苦しかった記憶しかない。


なんで?


成功を夢見てひたすら努力した先に、なんでこんなに不安な気持ちが待っているんだろう?


なんで?なんで?当時はずっとそう思ってひたすらに苦しかった。


でも、そんな苦しさを抱えながらアメリカに家族で長期滞在してた時の事だ。


ただただ毎日天気が良い空の下の芝生で側転したり、跳ね起きしたりしていた時、ふいに「もう、これで良くね?」と思った。


結局僕は、身体の事をいろいろ勉強して、いろいろな運動をやっていれば、それだけで満足できる。それをやっている時だけが楽しいし幸福で、もうそれで良いじゃないか…と。


毎日クラフトビールを飲んで酔っていたせいなのか、大麻を吸ったせいなのかは知らないけれど、「成功」のパラダイムシフトが僕の中に発生した。


「成功」の定義を間違えてしまうと、苦しむ事になる。自分にとって、みんなにとっての「成功」は必ずしも他人と同じものではない。それはいろいろな遠回りや失敗を経て気付けるものなのかも知れないし、苦しみの先に見つかるものなのかも知れない。


でも、それについてよく考えていないと、いろいろな人を傷つけたり自分が傷ついたりしてしまう事がある。


何をしている時に自分は満たされて、楽しめるのか?それをちゃんと知る事は、どんな学位や資格、金銭よりも大切なんだと思う。


当然今も、未来を不安に思ったり悲観的になる事もある。


でも、もし最悪住む場所を失ったとしても、僕は新宿中央公園かどこかで跳ね起きだのを練習して、その後は公立図書館にでも行って恐竜の本でも読んで楽しんでいるだろう。


金銭を追うな、という短絡的な事が言いたいんじゃない。自分が一番楽しめる事に気付いて、それに全振りしろ、という事だ。


それが、成功への鍵なんじゃないだろうか。










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