差別への一考察
- movefreeonline
- 2022年3月18日
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これだけあらゆる事へのアクセスが自由になった今でも、人種差別はなくならない。それどころか、より一層闇を増して私達にその根深さを突き付けてきている。
アフリカンへの差別が今クローズアップされているが、アジア系への差別も海外をうろつくと分かるが、結構えげつない。
それぞれの人種が、それぞれの差別感情、被差別感情を抱えている。
「弱い者達が夕暮れ、さらに弱いものを叩く」の地を行く価値観が世界には顕在している。
元来、「人種」というのものはそれぞれの生存戦略に合わせて居住する場所を求め続ける過程で作られて来た。暑い所から寒いところへ、そして獲物がいないから農作物を作るヒト達…
生物の進化と同様、より競合がいない環境で生き延びるために適応性を変化させ、形や食嗜好を変えて、それが文化になり、やがて「人種」になる。
元来、それぞれの種は生き延びるために競合を繰り返す。それが豊穣の現世では同じ場所、または限りなく近接した環境で共住するようになった。
住環境や食性の著しく異なるものは、例え同種でも大きく異なる免疫系を持つため交配をしない傾向にある。そして、免疫系が大きく異なる種は競合し、どちらが優れた遺伝子であるかを繁殖数として示そうと試みる。
これはナショナリズムやレイシズムの根底にある「生物としての本能」だ。
サバンナから出発し生きるためのチャレンジを繰り返した結果、局地への適応を経て、我々は発達させた技術を持って「環境の均一化」を実現し、あらゆる人種が居住空間を一にした。その結果、未だに人種間の本能的反発は置き去りにされ今日の「差別感情」を醸成している。
本来違う環境への適応をしてきた者達同士が、同じ場所に住む事など、自然の過程では有り得ない。
ヒトは豊かになったが、その本能は未だに「異なる遺伝子、異なる免疫」への攻撃性を変化させる事が出来ずにいるのかも知れない。
誤解を恐れず言えば、差別は本能の為せる業だ。
進化の過程が生み出した業を、我々は本質的に備えている。それを理解する事なしに前には進めない。
住環境の均一化がこれまでにない程進んだ今、いわゆる先進国ではより一層人種間競合や排他感情が強まる可能性がある。
そうした中で、何が私達一個人にできるのか?
生きてきた過程の違いをヒトそれぞれが理解し、現代にマッチしない本能を未だに備えてしまっている自分自身を認める事、自分達が作り出した技術が産んだ世界に自分達の本能が適応できていないという事実を認めずには、何も変えられない。
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