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売春宿と八百屋のオッサン

執筆者の写真: movefreeonlinemovefreeonline

学校の勉強は売春宿である、という言葉がある。


これは行動遺伝学者の安藤寿康さんの言葉なんだけれど、現代的コンプライアンス社会においてはリスキーな言葉だ。でも、その意味する事は納得できる。


本来的な学びの楽しさは本当にその学びの楽しさを知っている人達に教われば良いはずなのに、それを義務教育として全国に行き渡らせるのはムリ。


なので、とりあえずその教科を学校で教えられる「先生」を使って教育しようね、というのが学校な訳なんだけれど、これは例えてみれば実社会で恋愛するのが難しいから売春宿で性体験だけでもしてみよう、といった実態的な恋愛とはかけ離れたものと同じなんじゃないの?と言う事を意味している。


なかなか過激でやべぇ事言うな…と思うけれど、確かに本質を突いている部分がある。


例えば僕は早稲田大学商学部という日本でもベスト4には入るくらいの商学部でマーケティングや経営学、広告論を学んだはずなんだが、はっきり言って経営的部分では学部での勉強は全く役に立っていなくて、社会に出て自分で試行錯誤しながら経験して得た技術の方が役に立っていたりする。


そういう点で僕にとっての大学での机上論的商学は、言うなれば売春宿的、超疑似恋愛的商学だった。


実際自分が在籍していた時の商学部で、実業をしていた教授は1人もいなかった。自分で経営してもないのにマルクスが…とか神の見えざる手が…とか言ってもねぇ。


トレーナーの仕事も同じで、結局は学歴よりも経験の方が実際的には役に立っている。


学ぶ事の楽しさは、厳しい実社会をサバイバルする実践の楽しさを知っている人にしか伝えられないように思う。学びが現実と乖離すると机上の空論を超えてマスターベーションにしかならない。


商学部の偉い教授に教えてもらった事よりも、近所の八百屋のオッサンが立ち飲み屋で言ってる事の方が実際的には学びが多かったりする場合もあるのだ。


八百屋のオッサンが立ち飲み屋で話す「超実践的八百屋論」みたいなノリで身体の学びを共有できるものになれたら、それは僕の一つのゴールなのかも知れない。







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