可動性と安定性は本当にパフォーマンスの基礎なのか?

可動性と安定性がパフォーマンスピラミッドの土台だから、まずここを底上げしようという話がある。


まあ、聞こえの良い言葉でつい疑う事なく受け入れてしまいそうになる話ではある。


しかし実際のところ、いくつかの関節の可動性が低くてもパフォーマンスが高いアスリートはプロレベルでも結構いる。必須と言われる部分の安定性が低くてもパフォーマンスが高いアスリートもこれまたたくさんいる。


一応ハイレベルなアスリートのサポート経験をしてきたので、個人的な感想とは言え、全否定されるものではないだろう。


フィールドテストの結果が最も優秀な選手が最もパフォーマンスが高いかと言うと、そうでもない事がたくさんあるのは現場に出ていれば理解できる事だ。


単純に考えて、可動性や安定性が絶対必要な競技ばかりな訳でもないし、ポジションによってもそれらの必要性は変化する。


スポーツにおけるパフォーマンスは多分に環境依存的なものでもあるし、定量的な測定だけでは解釈しきれない。


なので、「パフォーマンスの基礎は可動性と安定性」という言葉は、自分にはとても空虚なものに聞こえる。


そもそもなんのアセスメントもなしにそんな事を言うべきじゃないし、何の競技でどんなパフォーマンスが必要なのかも設定せずにそういう事を言うのは思考停止でしかない。


人間は関節と筋肉の集合体ではないし、運動は多様な要素の創発や適応によって生まれるから、「パフォーマンスピラミッド」のような直線的な解釈ではパフォーマンスは測れない事が多い。


パターン化や階層化など分かりやすいものに思考を委ねるのは簡単だし、それらは全てを理解した気になってしまいやすい。


あるものを何かに当てはめようとすると、本質と掛け離れてしまう事が多い。「あてはめたがり」というバイアスに騙されてはいけない。




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