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プロダクトアウトとマーケットイン

プロダクトアウトとマーケットイン。


企画を考える段階で使われる事が多いマーケティング用語の一つだ。


簡単に言うとプロダクトアウトは製品指向。

マーケットインは市場指向。


プロダクトアウトは作る側の満足を優先し、マーケットインは顧客側の満足を優先する、と言えば分かりやすいだろうか。


一般的にみんなが知っているような大規模小売製品というのは市場調査が行われ、市場規模や顕在ニーズ、潜在ニーズが把握された上で販売企画が作成される。例えばプロクター&ギャンブル(P &G)なんかは、マーケットインを極めた企業として知られている。


一方でプロダクトアウトは作り手の熱量が製品に反映されるので、マーケティングなどはあまり重視しない傾向が強い。


とにかく機能を極めるとか、華美を極めるとか、作り手のこだわりが凝縮される。例えばジョブスが作り出した初期のアップル製品や、世界初の大量生産車フォードT型なんかはプロダクトアウトの代表例として語られる事が多い。


フォード社の創業者ヘンリーフォードの「大衆の意見を聞いていたら、私は鉄の馬を作っていただろう」という言葉はプロダクトアウトの成功例として有名だし、ジョブスは顧客アンケートに一切目を通さなかった事が知られている。


どちらが良いかと言うと、大規模小売を仕掛けるなら圧倒的にマーケットイン。大規模なものは仕入れや販管、人件費といったコストも莫大になるため、いかに失敗しないかが大切になる。だから「売れる」という仮説に基づいて売る必要がある。


一方、ニッチや小規模市場を狙うならプロダクトアウトが有利な事が多い。小さな市場にはマニアや愛好家が多く、彼らに深く刺さる製品作りが生命線になる事が多い。いかに「売れる」かよりも、いかに「深い」かという作り手の熱量が受け入れられる市場はプロダクトアウト指向が生きる。


僕達の仕事ではどうか?


バブルを終え、今や崩壊の一途を辿るダイエット系パーソナルトレーニングやボディメイクを提供するマイクロジム。


流行が生まれては消費され消えていくトレーニングメソッド。


僕らの業界では、マーケットインでもプロダクトアウトでもない「中途半端」なビジネスモデルの屍が累々と横たわっている。


15年以上この業界にいるが、15年前流行していたものが今も流行しているなんて事例は一つもない。


初期にはとんでもなくハイレベルだった団体も、拡大路線を取るために陳腐化し、大衆化路線をとり、破滅していく事も多い。


JATIなどは良い例だと思う。初期は日本独自のNSCAを標榜し、当時のハイレベルな人材が集結していた。だが、3年経たない間にフィットネスクラブのアルバイトをペルソナ設定した路線になり、陳腐化し、初期の先鋭な面影は今やない。


プロダクトアウトのスタンスを取った企業や団体が中途半端なマーケットインに陥り、衰退していく事が多いのが僕らの業界の常だ。


初動負荷トレーニング、加圧トレーニング、ホリスティックコンディショニング、海外ではAthletes Performance(現EXOS)など、他にも例を挙げればキリがない。


またはNESTAやNSPA-ASIAというマーケットインの塊のような団体も存在したが、今は消滅しているようだ(その存在さえ今思えばかなり怪しかったが…)。


一方で、プロダクトアウトを貫く人達は上場して一夜にして億万長者にはならないかも知れないが、今も熱心なファンやマニアに支えられて生き延びている、という事例は多い。


スモールビジネスの成功の提要は、常に反拡大、人を大量雇用しない、市場に媚びない、拡げるより深める、を貫く事に存在していると言える。


プロダクトアウトとマーケットイン。どちらが良いという事ではなく、自分のやりたい事がどちらのスタンスに向いているかという事だし、中途半端な製品作りが失敗への最短ルートであるという事も理解できる考え方だ。


また今年も、流行だった何かや誰かが消えていく。流行させない、有名にならない、拡大しない。そしてやりたい事を誰よりも追究する。これさえ守れば長く続けていく事ができるのではないだろうか。

















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