ヒトは優秀な家畜である
- movefreeonline
- 2022年11月19日
- 読了時間: 3分
「自己家畜化」というワードがある。
現代のヒトの生き方は究極的には家畜であるし、自ら望んで家畜化している。むしろ「社会」は家畜同士の合意で成り立っているという考え方だ。
経済という餌のもと、定期的に配布される賃金という名の餌、労働によって決定される居住や出産、死。それは究極的には家畜化と大差ない。定期的に放牧される家畜とヒトの違いは、そんなに大きくないのかも知れない。と、言うのが「自己家畜化」の考え方だ。
犬は4万年近い歴史を持つ古い家畜だし、ブタは11,000年、ヤギや羊は家畜として7,000年くらいの歴史を持っている。
いろいろな動物を家畜化して生きてきたヒトは、自分が家畜の一種であるという認識を持っていない。ヒトが農耕を始めたのは23,000年位前だ。
恐らくこの頃から「土地の所有」や「労働」という概念の原型が生まれたのだろうし、権力者/非権力者、使用者/労働者、雇用者/被雇用者という概念の原型も形成されたとのだと思う。これは端的に言ってヒトのヒトによる家畜化だ。餌を自分で取ってこなくても、畑を手伝っていれば定期的に農作物を分けてもらえる。
なので、ヒトが家畜化を開始したのは犬以外の動物を家畜化するもっと前で、ヒトの家畜化が先でそれを動物に派生させたのが本来のところなんじゃないかと個人的には思う。
そういう観点で見れば、良い会社に行くために良い学歴を獲得する事は優秀な家畜を育てるための、言うなれば松坂牛的な、アグー豚的な、阿波尾鶏的な「家畜界のサラブレッド(破綻したおした表現だけれど)」を育てる過程という事になる。
現代の超高度家畜化社会では、「真面目」「勤勉」「素直」などの言葉は、「優秀な家畜の証明」と言えるかも知れない。
経営者がよく言う「素直なやつが伸びる」なんて、ウサン臭いものである。それは黙って安い餌で労働してくれる家畜を評価しているだけなのだ。
しかし、超高度に家畜化し、ある程度平等に餌が分配されるという事は暴力や殺戮を抑制する側面もある。他者と奪い合う必要がないからだ。安全は法の基で家畜化されて初めて獲得できる。
家畜の対義語は「野生」だ。
野生動物は「真面目」だとか「勤勉」だとかの相対的評価を受ける事はない。基本的には「生きている」「生き延びる」という絶対的事実がその全てだ。なので、他人が作り出した秩序には興味がない。
遺伝子は種全体の多様性を保つので、野生に関わる遺伝子も保全されていて、そういう人は社会に適応できず抑圧に陥ったり、周囲の予想を覆して驚くような事を成し遂げたり、あるいは反社会的活動に従事するかも知れない。
家畜と野生、どちらの生き方が良いという話をしたいのではない。
ヒトは根本的に家畜化された生物だ。それを自覚する事こそが「自分の生き方」を見直す良い機会になると僕は思う。
Comments