スピードトレーニング再考
スピードを向上させるトレーニングをやってほしい、と⾔われる事がよくある。スポーツ
における「スピード」への信仰は篤く、スピードトレーニングというジャンルが成⽴してい
るくらいで、チームによってはスピードトレーニングを導⼊するために陸上短距離の選⼿
をトレーニング期間中は招いています、という話や、陸上短距離の選⼿に⾛り⽅の指導をお
願いしています、というような話はしょっちゅう⽿にする。
確かに陸上競技短距離は「スピード」に特化した競技であるし、「⾛る」ことのエキスパー
トである事は間違いない。だが、多くのスポーツにおけるスピードは、単に100m を何秒で⾛れるか、といった直線的で⼀⽅向性の「スピード」とは全く異なる事が多い。
例えばラグビーやアメリカンフットボール、バスケットボールといった相⼿選⼿とのコン
タクトや多⽅向への⽅向転換を頻繁に含む競技の選⼿が、陸上短距離のような⾼重⼼の⾛
り⽅を⾏っていたら、軽いコンタクトにも耐えられないだろうし急激な⽅向転換は極めて
困難だろう。
スタートの速さを⾼めるという⽬的を設定していたとしても、完全に頭を下げて視野を外
界から切り、内的感覚と銃砲に集中する陸上短距離のスタート動作と、相⼿がいて、相⼿を
崩し、その崩れた⼀瞬にスピード発揮をする対⼈競技では根本的な「スピード」への認識が
異なる。陸上競技における「スピード」が、時間という絶対的な存在との関わりである⼀⽅、対⼈競技における「スピード」は、「相⼿」や「状況」との相対的な関係の中に成⽴するものと⾔えるだろう。
対⼈競技においては、相⼿と状況の存在無くして「スピード」という概念は存在しない。
⼀⾔で⾔ってしまえば、サッカー選⼿が陸上短距離の⾛法を完全に習得したところで、⼤し
た意味は無い。それらは似て⾮なるもの、だからだ。
もし対⼈競技における「スピード」向上のためのトレーニングをプログラムするのなら、
まず相⼿との関係性、そして状況設定が重要となる。そして従属的に⾛フォームや競技姿勢
の設定が必要となる。ほとんどの場合に「スピードトレーニング」というものは、フォーム
や姿勢ばかりがフォーカスされてしまい、相⼿との関係やその状況は無視されやすい。
繰り返しになるが、実際のスポーツにおける「スピード」は、単に速い事よりも、その速
さを状況に応じてコントロールする技術こそが必要とされる。これは所謂アジリティトレ
ーニングやクイックネストレーニングと⾔われるものも同様だ。
アジリティを向上させたいからラダーだ、ライントレーニングだという思考は浅薄の極み
で、任意の決まった形状に対して任意の決まった反復動作を⾏うというトレーニングは、実
際の競技動作には全く反映されない場合が多い。
なぜなら、実際の競技では地⾯に置かれたハシゴをまたぐ訳ではないし、地⾯に書かれた
直線を⾶び越える訳ではないからだ。⾔ってしまえば、これらは「ラダートレーニングのた
めのラダートレーニング」、「ライントレーニングのためのライントレーニング」に過ぎな
い。それ⾃体が出来るようになるだけで、それ以上の意味はない。
こうした事はスポーツの現場では多々ある。「後半バテる選⼿が多いから、競技時間と同
じ80 分間ランニングさせろ」とか、「全員反復横跳びを80 点超えさせろ」と⾔った類の、競技という複雑なものをトレーニングや練習で再現する事を諦めて、似たように⾒える全然違う単純なものに代替させて指導した気になってしまうという思考パターン。
エルゴメーターを30 秒漕ぐと競技に似たエネルギー代謝になるから30 秒間⾃転⾞を全
⼒で漕がせれば試合でも⾛れるようになるという思考パターン。
スクワットで体重の3 倍挙がればジャンプ⾼が向上して空中戦を勝てるという思考パター
ン。
これらは全て同じ思考パターンで、競技における相⼿との関わりや状況への判断に対する
トレーニングを考慮せず、閉鎖的で様式的な動作を繰り返す「動作のための動作」や、筋⾁
や代謝といった「科学的」な観点のみで考えられた「トレーニングのためのトレーニング」
をやっているに過ぎないし、これでは競技とトレーニングの断絶は⼀向に埋まらない。
トレーニングをプログラムする時に、よく思い出す話がある。
競⾛⾺の⾛⾏中の⾎中乳酸濃度は、レース中と練習中では全く異なると⾔う。試合には⾺
でも緊張し、⾎中乳酸濃度は格段に⾼まると。いくら閉鎖的な環境である動作が洗練化され
ても、対⼈という状況下でその動作が再現できる訳ではない。いくら閉鎖的な環境で単純動
作の繰り返し回数が向上しても、対⼈という状況下でそれが「体⼒、持久⼒」として再現で
きる訳ではない。
トレーナーという仕事は、負荷の設定と姿勢の規定が主な仕事だと思われがちだが、そう
ではない。競技のためのトレーニングを考える時、いかにゲームライクで、トレーニング⽬
的に沿った環境を設定できるかが重要だ。
そして、そのように考える時、トレーニングを「スピード、アジリティ」といった要素に
還元して考える事そのものが的外れであるのかも知れない可能性に気がつくのではないだ
ろうか。