エビデンスは大切なのか

「エビデンス」は、言うまでもなく重要だ。


僕も一応、博士課程まで行った人間なので、科学とは何かはかじっているつもりだ。


エビデンスは重要。これは否定のしようが無い。しかし、エビデンスがないからと言ってそれが真実ではない、という訳ではないのは理解しておくべきだ。


例えば一蘭で友達とラーメンを食ったとして、私が「やっぱ一蘭はうまいわー」と言ったとする。


そこで友達が「いやぁ君、一蘭のラーメンが美味いというエビデンスは発表されてないよ。そういう先行研究があるのかな?ないよね。だから、その意見は間違っているね。」とか言ったら、どうする?まあ、二度と一緒に飯は食わないだろうし、なんなら殴りたい。


エビデンスとはその程度のもので、実際に目の前で明らかに発生している現象や、個体内で確信を持って感じられているなんらかの現象に対して、エビデンスの有無を論じる事など、実際は無意味なのだ。


一見変なトレーニングをやっているトレーナーを、あるアスリートが信奉していたとしても、それを第三者が「あいつはエビデンスもない変なトレーニングをやっている。俺のエビデンスベースのトレーニングこそ正しい」とか言って糾弾する事など、お門違いも甚だしい。


「一蘭のラーメンなどエビデンスがないから不味い。俺が作ったマルちゃん正麺の方がエビデンスベースで作られていて美味い。」とか言っているようなものだ。


エビデンスは研究においては大切だが、実際のトレーニング、そして生活、ビジネスやサービスにおいては「発生している現象」こそ大切にしなければ、全く相手にされない。


一蘭より俺が作るマルちゃん正麺の方が美味いと言っても、誰も信じまい。


エビデンスがあるものだけが真実だ、などという思考は、全く科学を理解していない者の思考なのである。


まあ、マルちゃん正麺も美味しいんだけどね。



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