「考えるより、パクれ」は正解なのか

更新日:6月22日

自分が考えつく事はだいたい誰かが考え済みの事だから、考える時間なんてムダ。そんな事より成功してる人をパクればいい。


という話は良く聞く。


確かに時間は有限で最も貴重な資源。下手な考え休むに似たり、てな訳でこれは一理も二理もある。


しかし、例え他人がすでに考えついた事が自分の辿り着いた結果だったとしても、自分の思考や経験を統合して何らかの気付きを得る事、それ自体は超重要なんだと僕は思う。


自分の頭と身体を透過し錬成されて得る気付き、これは知恵と呼べるものであり他の事象に転用しても通じるものが多い。


言ってしまえば、それが既出の知見かどうかなんてのは実際どうでも良い。考えた、考えられる、という過程が大切で、その習慣を得る事は自由に生きる鍵になる。


一方でパクリはパクリなので、誰かの言った事を一生パクリ続けて自分が考え出した事のように見せかけるしかない。誰かが新しい事を言ってくれるのを待つしかない生き方なんて、不自由だ。


こと自分の根幹になるところは、頭が捻れるくらい自分で考えても、損はないのではないだろうか。


もし誰かと同じゴールに見えても、そこまで辿り着く経路は自分だけのものだから。












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